千賀から西川へ

当時西川さんは82歳のご高齢、に対して私は24歳、およそ60歳離れていました。

養子の話が特別、私を指していたわけではありませんし、それほど多くの接点があったわけでもありません。

周囲は当然、養子など入るわけないんじゃないか?という空気でしたが、私の答えはそれにそむくもの、

「私が養子に行きます。」

ただの善意だったわけではありません、私は農家というものに憧れがありました。 米を自分で作る、新鮮な野菜をそだてる、そういった生活に興味があったのです。

とはいえ、それだけで、決めたかというとそうではありません。

そもそも、この地域には長年住んでこられた方と、その親族が住む地域なので、借家が出ること自体が珍しく、そこをたまたま母が賃貸サイトから好条件として偶然見つけたのが始まりで、

その中珍しく引っ越してきた家族の中には、24歳男性のしかも双子がいて、

さらに、双子の兄は「料理」関係の勉強を、私は「農業」関係の勉強をしていました。

そうした偶然の中、私たちの家主となった西川さんには畑をついでくれる人がおらず、引っ越してわずが数カ月で、養子の話がでたので、

(これはもう、いくしかないんじゃないか?)という気がしたのです。理由は薄いかもしれません、しかし、すでにひかれ始めていた私は、すぐに決断しました。

2016年10月25歳の誕生日を迎えた私は「千賀秀峰」から「西川秀峰」となりました。

こうして、兄「千賀博峰」と弟「西川秀峰」という名字の違う双子となったのです。

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